名を賭ける

一年来の、課題の一つ。関連記事とコメント、読み返してみたけれど、どうにも納得できないので。ブログは、何を書くのかも含めて、各々の管理人に委ねられている。日記を書いても、政治の話を書いても、いいのだ。私は。『双方で望む範囲でのコミュニケーションこそネットの特性であり、大事にすべき点』と考えている。『ネットの良さは、見知らぬ同士の出逢いの場である事』だとも、いえる。それを「何を話すか」で差別してほしく…
ネットのよさ

確かにインタラクティブ性という点においてはインターネットというツールは、他のメディアに追随を許さない。
殊に、Web2.0とか呼ばれる段階に入ってからその特質はより一層大きくなったような気がする。
これはひとえに自己表現を行うための手段が誰の手にも容易く手に入り、またそれを使用するための敷居が低くなったことに由来すると考える。
だが多くの主体が表現を行うようになるということは、それだけ価値観の多元性が発生するということと同義であり、求心力が分散することになる。
『ウェブ進化論』を著した梅田望夫氏はこうした状況を総表現社会と称した。
タイムラグが少なく、情報伝播のコストも極めて小さく、更にインタラクティブ性も兼ねているとなれば確かに自己主張にこれほど適した道具はあるまい。
しかしながら、特に日本においては顕著だが、情報発信主体の正体が非常に不透明である。
つまりは匿名性が高いということである。
事を穏便に済ませたがる特質を持つ日本人であるからなのか、他国に比べると表現を行う際に実名を用いることは極めて少ない。
かく言う自分もここでは実名ではないのだが、少なからずSNSにおいては虚偽のない情報を開示している。
例え相手も見えない仮想的空間であるとはいえ、自らの意思に基づいて発言する以上は名を賭けるくらいの自負がなければ、説得力を欠くためである。
先の「ケンタッキーでゴキブリ揚げた」事件に関しても、あまりに無責任というか無防備というか。
「都合が悪くなればトンズラしてしまえばいい」という浅はかさが露呈した事件だったと思う。
どこかで読んだ記憶があるのだが、最近は「毀損される名誉」ばかりが主張されて「自らを賭した名誉」はめっきり見られなくなった。
神に宣誓しろとまでは言わないが、ものを言うからには不義理なマネはしたくないものだ。

    • k
    • 2007 12/30 7:26pm

    SECRET: 0
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    htmlのタグ打ち世代からすると、確かに色々と便利にはなってきたな
    色々と偽りまくってるおいらには、責任となるような重みのある発言もないし、同意してくれとも思わんので
    しかしこの現状はインターネットの低年齢化の影響もあるんでない
    無責任発言に限らず、叩いてる俺、反発する俺カッコイイみたいなガキくさいヤツも増えてきた気もするわ
    後、堅苦しい主張より、どんな事件が起きたかってコトが話題になってネットもワイドショーのようになっていってるようなキモス

  1. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    モノが使いやすくなるということは、それだけ年齢問わず、多くの人間が参画してくるということだからなぁ。
    それに今の子供たちにはこういう道具があるってことが常識みたいなモンだろうから。
    我ながら年寄り臭いことを言ってるなw

    • アカリ
    • 2008 07/23 2:11am

    SECRET: 0
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    はじめまして。
    検索より参りました。(過去ログへのコメント、ごめんなさい・・・・拙ブログへのリンクが張られているのを知ったのが、つい最近ですので、ご容赦願います・・・・)
    無責任な発言が多い・・・・そういう言葉に反発して、「何書いても、その人の言葉だもの」的に書いた記事、でした。
    『自らの意思に基づいて発言する以上は名を賭けるくらいの自負がなければ、説得力を欠くためである。』ですか・・・・
    おそらく、「名」に対する考え方が違うとは思うので、ずれたコメントになるかもしれませんが、思ったことを書いてみます。
    発言の責任。
    思索中ではありますが、http://iwatam-server.sakura.ne.jp/software/giron/giron/x169.html#AEN192に似た考えをもっています。(私は「議論」という言葉には少し違和感は感じてはいて・・・・「会話」くらいの意味で捉えています。)
    別に何かを賭ける必要はなく、ただ私の言葉があるだけ、その話し続けていくという意思が、話し続けていく言葉自体が、私の存在のよりしろとなる、という感覚でいます。(結婚すれば名前って変わりますから・・・・それでも私は私、というのに似た感じです。)
    長々とすみません。
    (自分の中に迷いがあるので、確認したくて言葉を紡がせて頂きました。駄文失礼します。)
    お邪魔しました。

    • 鬼灯
    • 2008 07/23 3:41am

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    >アカリさん
    ご丁寧にコメントいただけたこと感謝します。
    同じブログを媒体として意見を述べる以上、せっかくトラックバック機能があるので活用させてもらいました。
    このような下らない持論のためにトラックバックを張られたことで不快になられたようでしたら、今さらではありますがご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。
    私自身としましては、ズレたコメント大歓迎です。
    むしろご意見を返していただけることに恐悦至極です。
    自分自身、トラックバックを送信させていただいたにもかかわらず、多少中身が食い違っていることは感じていましたし、それを承知で書き連ねましたので。
    自分が今回の記事を書いたのは、匿名性に甘えがちな日本人体質を取り上げたかったためで、そのとっかかりとしてアカリさんの記事を用いさせてもらいました。
    ですからアカリさんの記事に対して否定的な意図は皆無ですし、むしろその意見については私も同意するところです。
    名前自体は記号的なものとしてみなすことができますし、個人を個人として特定・定義せしめる要因の一つが、表現としての言葉だと思います。

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