数をこなせば「勝ち(価値)」なのですか?

この所、大学の友人がフラっと街中に繰り出してはナンパに励んでいるらしい。
昨日も昼前から女子大の学園祭に出向いては奮闘し、結局のところは夜も更けてからようやくつかまえた女性をお持ち帰りしたという戦果報告があった。
ちなみに彼は4年次で、取得単位はただでさえ少ない編入生の自分よりも少ない。
すでに留年が決定している状況である。
曰く、興味を覚えないことにはトコトン無頓着であると。
別に私は非難するわけではない。
価値観は多様だし、彼がそれで満足なら私が口を差し挟むべくもない。
彼は私に「やらなきゃ損だよ」と述べるのである。
大変申し訳ないことだが、私には何を「損」しているのか、理解しかねる。

経済学・経営学の概念に機会費用というものがある。
要するに、複数の選択肢があってそれぞれを選択した場合の、切り捨てた選択肢が生むはずだった利益を差す。
例えば学校の講義に出れば、その間バイトに出ていれば貰えたはずの給与が機会費用だし、逆にバイトに出ていればその間講義に出ていれば貰えたはずの出席点が機会費用になる。

私がもし彼と一緒に街へ繰り出しているならば、その間に作成できたであろう研究指導報告会のレジメが機会費用になる。
あるいは学園祭に出て得ていたであろう効用(満足度)が機会費用だ。
事実、私は昨日は夕方前までレジメを作り、行き詰まりを感じて別の友人と学園祭へ出かけ、とあるサークルの研究ブースでレジメのヒントを得た。
私にとってはナンパに出掛けるよりも、レジメを作り学園祭に赴く方が高価値であるという判断を下したわけである。

こう述べるとあたかも自分が損得勘定で動いているような感を与えてしまうが、無論、コレはインセンティブの一つに過ぎない。
私は私の行動規定に従い、また大学生として成すべきことを成すために(世捨て人や搾取対象のレッテルを貼られても)自分なりのアクションを起こしているだけだ。

こんな説教臭いことを綴るから、年寄り臭いとか言われるのだろうけれど。
戦果を挙げてご満悦の彼には水を差すようで悪いが(この記述を見ることはあるまいが)、やや共感しかねたので。

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