アーカイブ ‘ 2007年 12月

大晦日? いいえ、単なる冬の一夜です。

とか言ってみるものの、やっぱり多少なりとも感慨深いもので。
卒論に関しても細かいところはまだ手付かずだが、ノルマとなる分量は突破したっぽいので、あとはアウトライン構成にしたがって加筆し、小さいところを修正するくらい。
終わりが見えただけ、今年の厄の一つを落とした気がする。
今年は今年で転機になったけど、来年も来年で踏ん張らなければならなかったり新しい転機が来るだろうということで、何かと退屈することはなさそうだ。
今年お世話になった方々、本当にありがとうございます。
筆舌に尽くしがたいこの感謝は、いずれ態度で返したいと思いますので。
どうぞ来年もよろしくお願い申し上げます。
では良いお年を。

雪正月の気配

ですよ。
昨日の深夜もパラパラとはしてましたけど、今日は本格的に降ってきてるよハハハ。
明日の朝には面白い景色が見れるかもしれんなぁ。
ところで、今年6月に生まれたという従兄弟の子供と初対面してきたわけだけど、抱っこすると秒殺で泣く。
そのくせ離れるとじーっとこっちを見てくる。
アレか、怖いもの見たさか。
確かにそれほど優しい顔立ちはしてないけれど、そこまで瞬間的に豹変しなくてもいいんじゃないのか。
うーむ、もともと自分もあのような時期があったとはいえ、理解できん。

名を賭ける

一年来の、課題の一つ。関連記事とコメント、読み返してみたけれど、どうにも納得できないので。ブログは、何を書くのかも含めて、各々の管理人に委ねられている。日記を書いても、政治の話を書いても、いいのだ。私は。『双方で望む範囲でのコミュニケーションこそネットの特性であり、大事にすべき点』と考えている。『ネットの良さは、見知らぬ同士の出逢いの場である事』だとも、いえる。それを「何を話すか」で差別してほしく…
ネットのよさ

確かにインタラクティブ性という点においてはインターネットというツールは、他のメディアに追随を許さない。
殊に、Web2.0とか呼ばれる段階に入ってからその特質はより一層大きくなったような気がする。
これはひとえに自己表現を行うための手段が誰の手にも容易く手に入り、またそれを使用するための敷居が低くなったことに由来すると考える。
だが多くの主体が表現を行うようになるということは、それだけ価値観の多元性が発生するということと同義であり、求心力が分散することになる。
『ウェブ進化論』を著した梅田望夫氏はこうした状況を総表現社会と称した。
タイムラグが少なく、情報伝播のコストも極めて小さく、更にインタラクティブ性も兼ねているとなれば確かに自己主張にこれほど適した道具はあるまい。
しかしながら、特に日本においては顕著だが、情報発信主体の正体が非常に不透明である。
つまりは匿名性が高いということである。
事を穏便に済ませたがる特質を持つ日本人であるからなのか、他国に比べると表現を行う際に実名を用いることは極めて少ない。
かく言う自分もここでは実名ではないのだが、少なからずSNSにおいては虚偽のない情報を開示している。
例え相手も見えない仮想的空間であるとはいえ、自らの意思に基づいて発言する以上は名を賭けるくらいの自負がなければ、説得力を欠くためである。
先の「ケンタッキーでゴキブリ揚げた」事件に関しても、あまりに無責任というか無防備というか。
「都合が悪くなればトンズラしてしまえばいい」という浅はかさが露呈した事件だったと思う。
どこかで読んだ記憶があるのだが、最近は「毀損される名誉」ばかりが主張されて「自らを賭した名誉」はめっきり見られなくなった。
神に宣誓しろとまでは言わないが、ものを言うからには不義理なマネはしたくないものだ。

年の暮

実家では年の暮には次のような光景に遭遇する。
NEC_3038.jpg

もち米から自家栽培。
これを親族一同に配ったり送ったりして一年の締めくくりを実感する。
早朝の作業だったので、朝飯がわりにできたてを3つ頂戴した。
上とは全く関係ないが、簡素な占いをやって見た。
大駅士って何ぞや・・・。

正しくは4月

今日は特別、市街地は人が多いったらありゃしない。
どこを見ても子供ばっかりで、これで少子化とか、どんだけかと。
多かったのは子供もですけど、やはりカポーも。
どいつもこいつも、見事に踊らされてるな。
いいか貴様ら、12/25すなわちクリスマスがキリストの誕生日だとでも思っているのではあるまいな。
実のところ、聖書をそのまま解釈すると、12月などというクソ寒い時期に神子キリストは生まれていない。
詳しくは教会にでも行って聖書の講習でも聞いていただきたいところだが、本来の誕生日は現在で言う4月あたりだと言われている。
ではなぜ12/25がキリストの誕生日などということになってしまったのかということだが、この日はもともとローマの祝日であり、キリスト教徒がローマに布教する際に、受け入れやすくするためにこの日をキリストと深く関連させたと考えられている。
ついでだからもう一つ言っておくと、キリストは誕生日を祝えなどとは一言も言っていない。
むしろ自分が死せる日を記念しろと言ったらしい。
とはいえ、実際のところ日本人にとってクリスマスの中身なんてどうでもいいんだろう。
要は散財できて騒げる口実になれば、それ以上の意味は必要としないのだろう。
ここまで書いておいて断っておくが、自分は断じてクリスチャンなどではない。
唯一神を信じるくらいなら、H・P・ラヴクラフトの世界観に登場するような旧神の解釈でもしている方が、ずっと面白い。

田舎の風習

鬼火焚きというものをご存知だろうか。
年始まもなく行われる、竹を組んで作った円錐と一緒に正月飾りの類や去年つかったお守りなどを焼く行事である。
今朝8時から、この櫓を組むための労働力として動員されることに。
ひたすら竹を運んでは束にし、相当な重さになったそれを櫓の骨組みに合わせて立てかける。
常日頃、机やらPCやらに噛り付いては尻で椅子を磨く日々なので、田舎に帰ったときくらい、こういう風習に参加するのも悪い気はしない。
ただコレ、実際に鬼火焚きとして焼くのは1/7の夜で、その頃は自分はすでに神戸に戻っているという罠。
こういうとき、せめて一枚と思って写真に残しておきたくなるが、デジカメはもってないし携帯のカメラは中にホコリが侵入して使い物にならない。
やっぱりこういう時、安いデジカメの一つもあったほうが便利だよなぁとつくづく思う。

実家と神戸を結ぶ

実家に帰った今、使用しているPCはかなり性能的には劣化したものを使っている。
処理速度にストレスを感じることは仕方ないとして、問題になるのは内蔵するデータ。
卒論の参考資料も大概は文書ファイルなどにしてまとめてあるし、そうでなくとも自分のPCはオーディオコンポ代わりなので、音楽ファイルも同様である。
ラップトップPCを常用しているならば、それにこうしたファイルが入っているため、それ自体を持ち運べば良いわけだが、デスクトップの場合はそうはいかない。
手段としては、まずポータブルHDDに必要なデータを移行してそれを携行するという方法。
あるいはコストのかかる方法だが、自分でサーバーを稼動させ、遠隔地でもネットにつなげればそれにアクセスしてデータを引っ張ってくるという方法。
ところがあいにく自分は携行できるサイズのHDDを持ってないし、サーバーを構築・稼動させているわけでもない。
そこで今回、こういったソフトウェアを試してみた。
いつも常用しているPCにコレをインストールすることで、簡易的なサーバーにすることができる。
今回はさすがに正月明けまで神戸の自宅のPCを起動させっぱなしにするのは気が引けたため、近々自動的にシャットダウンするように設定してきてあるが、短期的に外出する際には重宝するかもしれない。
必要だとあらかじめ分かっているファイルは外部メディアにバックアップして携行し、万が一に備えて今回のような設定をとっておくというスタイルが使えそうだ。

約1年ぶりの帰省

夏は帰れなかったから、年末は早めに帰省しますた。
学割で新幹線利用でございます。
10時前に新神戸駅から出発。
しばらく見ないうちに、新神戸駅は内装を改装してた。
随分と小奇麗になってて、ちょと新鮮。
で、大体3時間くらいかけて、博多駅到着。
ラーメン食べに行こうと思ったけど、この先の乗り換えの特急券買った時点で残金の問題で、本命の一蘭のラーメンが食べられない!
泣く泣く今回はあきらめ、神戸に戻るときに食べて行こうと決意。
で、それから乗り換えて40分くらいで目的地の佐賀駅到着。
佐賀は雨でした。
その足で、昔から世話になってる散髪屋に向かい、伸びに伸びた髪の毛を思いっきり切ってもらった。
「まるで尾崎豊だな」と言われた髪も、半分以上の短さになってスキーリ。
今年の厄に、ちょっとケリをつけた様な気がする。
さて、実家に帰ったところで、あとは卒論という名の厄を今年中に払っておかねば。
正月は呑んべぇで過ごすんだぜ。

もしものときは

長?くPCを私用しているとあることだが、「これは対外に見せられるものではないなぁ」というデータがチラホラ存在する。
ところがそのPCが万が一にでも「遺品」になったときには、そうともいっていられない。

ほぼ確実にPCは親族によって立ち上げられ、少なからず1度くらいは中身をチェックされるであろう。
いくらログオンパスワードを設定したところで、知識がある人ならば突破する事は難しくないだろう。

これはヘビーなPCユーザーにとっては割りと身近な問題のようで、不慮の事態に備えて、PCが一定期間起動されない場合など、指定したデータを消去するアプリケーションなどはしばしば存在していた。

そしてこの度、「僕が死んだら…」という新種のアプリケーションを見つけた。

これはなんとも都合のいいアプリケーションだなと、心底痛感した。
確かに、デスクトップにこんな名前のアイコンがあったら、クリックせざるをえまい。
暗号化されたメッセージを復号化しているように見せ、故人のメッセージはまだ表示されないのかとやきもきしている人の前で、実のところただ指定されたファイルを抹消しているだけという、見方次第ではなんとも黒いアプリケーションである。

もっとも、この記事を見られた時点で、自分の周囲の人間には効果がなくなってしまうのだが。

恩師より寒中見舞い

 メールをチェックしていたら、受信トレイではなくて自動振り分けされた迷惑メールフォルダに、高校時代の恩師から寒中見舞いのメールが届いていた。
 Thunderbirdはフィルタリング機能がある程度目障りなメールを振り分けてくれる代わりに、こういったメールがしばしば紛れ込んでしまうのが弱点か。

 ともあれ、葉書で暑中見舞いは出したものの、それっきり年賀状を書かねばならんと思っていた矢先だったので、Thunderbirdに悪態をつきつつも有り難く読ませていただいた。

すでに教育者としては第一線からは退いた方ではあるが、当時厳しく指導して頂いた記憶がある。
正直に告白すると、当時は面倒臭い先生だなと思っており、あまり好きにはなれなかった。
しかし不思議なもので、そういった先生ほど、卒業後に妙に懐かしくなる。
そういうわけで、去年か一昨年くらいから、年賀状や暑中見舞いを出すようになっていた。

まさか、夏に出した暑中見舞いがメールの寒中見舞いになって返ってくるとは思ってなかったが。
確かに葉書には自分の宛先と一緒にメールアドレスも印刷していた。
 いつだったか、引退されてさほど長くないうちにお会いした時、パソコンの勉強を始めたといわれたのも覚えている。
その結果がコレというわけか。
メールのレイアウトもちゃんと改行や字下げがなされているし、つくづく堅実で勉強熱心な方だなぁと実感する。

今年も年賀状を出さねばならんな。

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