アーカイブ ‘ 2006年 11月

親父

ふと考えたのだが、親父に殴られたことのある子供(自分もまだまだ子供だが)って、どのくらいいるのだろうか。
親父がちょっと畏怖の対象に該当するって答える人がどれだけいるんだろう。
無論DVって意味じゃない。
いわゆる昭和の映画なんかに出てくる、放蕩息子を親父が殴り飛ばすというようなアレだ。
今や、厳格な親父というのが希少になったと思う。
いや、それが悪いとかいうつもりは毛頭無いし、ゴロゴロいてもらっても困る。
ただ、いじめ云々とか見てると、手加減知らない連中が増えたよなぁと。
幸い(?)自分は親父が職人気質だったので、よく手ェ出されたし、弟に至っては親父と殴り合いまでしてる始末。
だけどコレって結構重要なコミュニケーションなんじゃなかろうかとか思う。
何でも口だけで解決するなら、有史以来戦争なんて起こりはしないわけで。
痛みがわからないと程度がわからない。
「これ以上はエグいしヤバいよな」とか「さすがにこの先行っちゃうと収拾つかねぇし」とか知らんから一線越えちゃう。
その一線を覚えるのがガキの頃のケンカだったり、親父の雷だったり。
今、ガキんちょがロクにケンカしてる姿を見たことが無い。
ケンカしようとするとすぐさま保護者なり誰かが仲裁に入って一件落着。
そら痛む隙さえないわな。
世の中の親父よ、もっと威厳を持ってくれ。
世の中のオカンよ、もっと子供を柵から解き放て。
ヘタに成長して小賢しくなってからでは余計タチが悪い。
ガキの頃のうちに身に覚えさせろ。

Give up

ワイドショーを見てれば自殺自殺と、蜂の巣を突いたような騒ぎになっているではないか。
しかし、よくも簡単に死んでくれるものだ。
この世の中、生きたくても明日さえ知れぬ人がどれほど存在すると思っているのか。
今夜眠ってしまえばもう朝日を拝むことができないかもしれないと、夜を怖れてすごしている人がどれだけいると思っているのか。
どいつもこいつも、簡単にこの世を捨ててくれる。

赤子が生まれた直後に泣くのは、杞憂と苦悩に満ちたこの世界に晒されるからだと聞かされたことがある。
確かに、この世は憂き世だ。
良い事はなかなか起こらないくせに、悪い事は立て続けに現れる。
禍福は糾える縄の如しなんて、嘘八百もいいところだ。
なれど、半世紀もその眼に写さぬままに膝を折るな。
杞憂を飲み下し、苦悩に「上等だ」と威勢を張れ。
人間なんて脆弱で、すぐさま簡単に死ねる。
だからこそ簡単にくたばってやるのは面白くない。
せいぜい生きて、「所詮、世の中などこの程度か」と俯瞰的に見限れるようになってからくたばれ。

数をこなせば「勝ち(価値)」なのですか?

この所、大学の友人がフラっと街中に繰り出してはナンパに励んでいるらしい。
昨日も昼前から女子大の学園祭に出向いては奮闘し、結局のところは夜も更けてからようやくつかまえた女性をお持ち帰りしたという戦果報告があった。
ちなみに彼は4年次で、取得単位はただでさえ少ない編入生の自分よりも少ない。
すでに留年が決定している状況である。
曰く、興味を覚えないことにはトコトン無頓着であると。
別に私は非難するわけではない。
価値観は多様だし、彼がそれで満足なら私が口を差し挟むべくもない。
彼は私に「やらなきゃ損だよ」と述べるのである。
大変申し訳ないことだが、私には何を「損」しているのか、理解しかねる。

経済学・経営学の概念に機会費用というものがある。
要するに、複数の選択肢があってそれぞれを選択した場合の、切り捨てた選択肢が生むはずだった利益を差す。
例えば学校の講義に出れば、その間バイトに出ていれば貰えたはずの給与が機会費用だし、逆にバイトに出ていればその間講義に出ていれば貰えたはずの出席点が機会費用になる。

私がもし彼と一緒に街へ繰り出しているならば、その間に作成できたであろう研究指導報告会のレジメが機会費用になる。
あるいは学園祭に出て得ていたであろう効用(満足度)が機会費用だ。
事実、私は昨日は夕方前までレジメを作り、行き詰まりを感じて別の友人と学園祭へ出かけ、とあるサークルの研究ブースでレジメのヒントを得た。
私にとってはナンパに出掛けるよりも、レジメを作り学園祭に赴く方が高価値であるという判断を下したわけである。

こう述べるとあたかも自分が損得勘定で動いているような感を与えてしまうが、無論、コレはインセンティブの一つに過ぎない。
私は私の行動規定に従い、また大学生として成すべきことを成すために(世捨て人や搾取対象のレッテルを貼られても)自分なりのアクションを起こしているだけだ。

こんな説教臭いことを綴るから、年寄り臭いとか言われるのだろうけれど。
戦果を挙げてご満悦の彼には水を差すようで悪いが(この記述を見ることはあるまいが)、やや共感しかねたので。

身を切るような寒さ

が週明けから始まる模様。
さすがに朝起きるのがキビしくなってくると、季節が移ったことを体感せずにはいられない。

就職活動準備期間ということで、某就活サイトで自己分析を行ってみたわけだが、見事なまでの「現実主義志向」が叩き出されてしまった。
いや、志向というか、むしろパーセンテージでいうと100%
かと思えば、周囲の一部からは「世捨て人」の呼び名を与えられる始末。
確かに自分が世の中見限り過ぎてると言えなくも無いが、このままだと出家しても違和感のない筋書きに。
他人と対比して、反俗物的な考え方をしているのも要因なのだろう。
このような有様だから老けたりするんだろうなぁ。

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