カテゴリー ‘ つまらないメモ

カレーライスとライスカレー

ほとんど区別されて聞くことはないが、カレーライスとライスカレーはそれぞれ定義が違うらしい。
伝聞なので本当に正しいのかという信憑性は明らかではないが、ライスカレーは一般的な一つの皿にご飯が盛ってあって、その上にカレールーがかけてあるものを指し、一方でカレーライスはご飯とカレールーが別々の容器・皿になっているものを言うらしい。

自分もだいぶ前にその話を聞いてしばらくは忘却していたのだが、先日チャット中に「ちょっとお高い、カラメルソースが別容器になっているプリンを頂戴した」とかいう話を聞いて、そういえばそんなどうでもいい定義があったなぁと思い出した次第。
ためしに群衆の叡智Wikipediaで調べてみたが、自分が聞いた定義以外にも、和風洋風の違いなどでも区別する定義があるらしい。

なおハヤシライスについては和製洋食であることから、訛ることはあっても名前が上下することはない模様。
これもまた参考程度に眺めてみたが、名前の由来自体が諸説様々でハッキリしていない。

せっかくなのでもう一つばかりどうでもよい話をしておくと、オリンピックで1位の証として授与される金メダルは銀の上に金メッキを施したものらしい。
贈与数から考えてみれば当たり前なのかもしれないが、そうホイホイと純金製を渡していたらエラい額になる。
ただしノーベル賞で与えられる金メダルは完全純金製とのこと。

何のための国立か

国立大学の授業料を私立並みに引き上げることで、「生まれた財源を高度な研究や人材育成、奨学金の拡充に充てるべきだとの主張も盛り込んだ(引用)」試案を財務省が発表したらしい。(情報ソース
一体何を考えてのことかわからないというのが正直な感想。
アメリカなどでは成績優秀な人間こそが私立に通い、そうでない人は公立という傾向にあるそうだが、日本でそれをやろうとでもいうのだろうか。

確かに高等教育はこの国では義務教育ではないので、税金で補われることに対して慎重であるべきというのは間違いではない。
だが、目を向けるところはそこにあるとは思えない。

以下は情報ソースが2ちゃんねるの書き込みであるため、信憑性としては今一つかもしれないが、本当なら看過できない事実。
あえて何も手を加えないでそのままコピーして引用。

> 435 名前: 名無しさん@八周年 投稿日: 2008/05/06(火) 07:46:03 ID:jPqMcJI3O
> 知っていますか!?
> 自民党も民主党も日本の売国政治家どもは、中国人留学生には考えられない待遇を約束しています!
> 日本国民には増税を強い、血税は売国政治家により中国への便宜として使われています。
> そして中国から売国政治家の懐へキックバックとして裏金が入る仕組みです。
> そして、日本の売国政治家どもは中国人留学生を百万人まで増やそうとしています。
> 
> 1)奨学金/月額142,500円(年171万円)
> 2)授業料/国立大学は免除、公立・私立大学は文部省が負担(年52万800円:現時点)
> 3)渡航旅費/航空券支給 東京-北京 (111,100円)
> 4)帰国旅費/奨学金支給期間終了後所定の期日までに帰国する場合は航空券を支給 (111,100円)
> 5)渡日一時金/25,000円
> 6)宿舎費補助/月額9,000円または12,000円 (年144万円)
> 7)医療費補助/実費の80%
> 上記 1)+2)+3)+4)+5)=380万円!年に380万円。 しかも返還不要。
> 
> 全て血税です。しかも支援・支給額です。返さなくていい。
> 貸与の奨学金すらもらえない日本人が多いのに。中国人韓国人留学生は当たり前の支給と思っている。
> 繰り返し、言います。年に262万円ですよ。4年いたら、1051万円ですよ。税金ですよ。
> 経済的事情で大学や大学院への進学を断念する日本人が多くいる中で。しかも、10万人。
> なんと2620億円です。
> なんで怒らないの?血税ですよ。
> *** 以下資料 *******************************
> 大使館推薦による日本政府奨学金募集要項
> http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/ryugaku/boshu/08031212/001.pdf
> 入学検定料、入学金、授業料は日本持ち、宿舎は日本が用意
> 奨学金(生活費?)として月額134,000円支給(返還義務なし)
> 往復航空券支給 国費留学生制度の詳細
> http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/gijiroku/007/030101/3-2.htm
> 平成19年度外国人留学生在籍状況調査結果
> http://www.jasso.go.jp/statistics/intl_student/data07.html
> 留学生数(平成18年5月1日現在の数)中国 74,292人 63.0% 韓国 15,974人 13.5%

加えて、首相は留学生を現状の3倍近い30万人に増員する計画を推しているらしい。
さて、日本国内で学費を払えないので大学に行けない、奨学金も受け取れないという人がいるなかで、もっと言えば生活していけないからと親子で心中してしまう人がニュースで報道される世情で、この処遇はどうしたものかと。

対外友好も結構だが、少しは自分の足元も見てもらいたい。
それともこの国の政策の根幹には「自己犠牲」というモットーやセオリーでも植えつけてあるのだろうか。

天然資源も持たないこの小さな島国が、経済発展を持続していくためには優秀な人的資源とそこから生まれる技術力・科学力であることを考慮すれば、そうやすやすと高等教育の門戸を狭めるようなマネはできないはずだ。

三文芝居もいいところ。

経済に絡むならまだしも、極度に政治的な話題はあまり論述したくないのだが、ちょっとさすがに記述しておいて見返したときに面白いだろうかと思って今回は記すことにする。

本日、訪日中の胡錦濤国家主席が早稲田大学で講演会を行った。(詳細はこちら
この記事を見る限りでは穏便な様子しかわからないが、講演前から会場となった大隈講堂の付近では学生による数百人単位のデモが行われていたわけで。(情報ソース

では大隈講堂で講演を拝聴したのは穏健派の学生や教授たちなのか。
どうもそれは違うらしい。
教授が自身のホームページで述べることには、そもそも講演があることさえ伏せられていたようである。
引用すると、講演を聞いたのは「一般公募の学生たちではなく、40人前後の<身元の確かな>中国留学経験者だけ」で「彼らには、事前に<政治的な質問はしないように>という趣旨のことが伝えられた」らしく、そして「大隈講堂の一階前よりの座席を埋め尽くすのは、胡錦濤主席と一緒に来日した中国共産主義青年団の精鋭200人」だそうだ。
つまり「ニュース映像には、早大生が拍手しているように映るのだろうが、中国製の<サクラ>である」。

この国の報道番組は大概が「ワイドショー」であって真に「ニュース」と呼べるものが極めて稀である以上、内部の人間によるこうした情報はそれにくらべると信憑性があると判断していいだろう。

さて、ではこの講演会を茶番と呼ばずして何と言えばいいのか。
ヤラセとわかっているエンターテイメントと同等、それ以上につまらないと感じてしまうのは自分だけなのか。

末尾に付け足すとまるで言い逃れや責任逃れのように見えるが、自分は非常に見聞が狭くまだまだ世間知らずな若造・青二才であるために、このような見方をしてしまうのかもしれないのだけれど。

おかげさまで3ヶ月

デジカメを入手したことがほぼ同時期という事もあってか、ブログサービスをmixiからこのFC2に移してから更新頻度がグッと増え、2月から4月まで3ヶ月間1日も欠くことなく更新ができており、ちょっとした耐久トライアルのような気分に。

さてちょっとアクセスログを眺めていたら、先月はなかなか面白い状況に。

4月アクセスログ

ユニークアクセス数に関しては4月は1日平均して10人がこのブログをご覧頂いている計算になっているが、トータルアクセス(のべアクセス)の4/1のエイプリルフールネタをやらかしたときの伸び具合が異常と言わざるをえない。
この日のユニークアクセス数で割ると、一人当たり大体7?8回ほど閲覧しなければこんな数値にはならないはずなのだが・・・。
この日にさっきのエイプリルフールネタとそのオチページ、さらに普通にいつも通りの記事の3つのページを投稿したことを考慮に入れてみればそれくらいのトータルアクセスという気がしないでもない。

なお、アクセス統計でわかったことを他に挙げるとすれば、今月は56%の人がリピーターさんで、このブログにたどり着くまでに最も多く介された検索エンジンはGoogleで76%という結果。

身近な知人友人をはじめとして、通りすがりで閲覧してくださっている方、たまたま検索結果で上位に表示されてしまってうっかり訪問してしまった方、神戸や大分の大学からアクセス下さっている方、皆様のおかげで自分には珍しく投稿が長続きしております。

表現媒体の拡大

デジカメを入手してから、ブログに画像を掲載する頻度がグッと高くなった。
というか、文章で説明するより手間が少なくて、しかも説得力としては抜群だから助かる。
一昔前にアナログ回線でジリジリ表示される画像をボンヤリ待っていた頃を思い起こすと、これほどの自己表現媒体の拡大は驚異的なものであると感じざるを得ない。
自分の場合は撮影してきた画像を載せるだけという単純なものだが、それを加工するためのソフトウェアも現在は色んなものがフリーソフトであるし、ノウハウもWeb上にある程度は集結している。
それどころか、映像媒体を扱える人間はもっと効果的でインパクトのある表現が可能なわけで。
今ならやろうと思えばボイスブログも不可能じゃない。
こうした業界に従事しようとまでは思わないが、趣味として楽しむ分には退屈しない世界だなとつくづく思う。

名を賭ける

一年来の、課題の一つ。関連記事とコメント、読み返してみたけれど、どうにも納得できないので。ブログは、何を書くのかも含めて、各々の管理人に委ねられている。日記を書いても、政治の話を書いても、いいのだ。私は。『双方で望む範囲でのコミュニケーションこそネットの特性であり、大事にすべき点』と考えている。『ネットの良さは、見知らぬ同士の出逢いの場である事』だとも、いえる。それを「何を話すか」で差別してほしく…
ネットのよさ

確かにインタラクティブ性という点においてはインターネットというツールは、他のメディアに追随を許さない。
殊に、Web2.0とか呼ばれる段階に入ってからその特質はより一層大きくなったような気がする。
これはひとえに自己表現を行うための手段が誰の手にも容易く手に入り、またそれを使用するための敷居が低くなったことに由来すると考える。
だが多くの主体が表現を行うようになるということは、それだけ価値観の多元性が発生するということと同義であり、求心力が分散することになる。
『ウェブ進化論』を著した梅田望夫氏はこうした状況を総表現社会と称した。
タイムラグが少なく、情報伝播のコストも極めて小さく、更にインタラクティブ性も兼ねているとなれば確かに自己主張にこれほど適した道具はあるまい。
しかしながら、特に日本においては顕著だが、情報発信主体の正体が非常に不透明である。
つまりは匿名性が高いということである。
事を穏便に済ませたがる特質を持つ日本人であるからなのか、他国に比べると表現を行う際に実名を用いることは極めて少ない。
かく言う自分もここでは実名ではないのだが、少なからずSNSにおいては虚偽のない情報を開示している。
例え相手も見えない仮想的空間であるとはいえ、自らの意思に基づいて発言する以上は名を賭けるくらいの自負がなければ、説得力を欠くためである。
先の「ケンタッキーでゴキブリ揚げた」事件に関しても、あまりに無責任というか無防備というか。
「都合が悪くなればトンズラしてしまえばいい」という浅はかさが露呈した事件だったと思う。
どこかで読んだ記憶があるのだが、最近は「毀損される名誉」ばかりが主張されて「自らを賭した名誉」はめっきり見られなくなった。
神に宣誓しろとまでは言わないが、ものを言うからには不義理なマネはしたくないものだ。

今日(明日)

「貴方が空しく生きた今日は、昨日死んでいった者が、あれほど生きたいと願った明日」

時間を直接他人に譲渡することはできないが、時間を消費した成果を与える事はできる。私の消費している時間が、自分だけじゃなくて誰かの幸せに繋がると最良だ。

卒論のプロットがなかなかまとまらなくて、ダラダラしている今この時間も、今日の朝日を見ることも無く逝ってしまった人には迎える事すら叶わぬ時間。
昨日遭遇したにわか雨も、それより前に逝ってしまった人には何も感じられない出来事。
「また来るよ」と言って交わした口約束も、果たす前に逝ってしまった人には「嘘つき」とすら言えない契り。

Web進化とハードウェア性能向上

この最近は円高傾向なので、輸入市場であるPCパーツの価格がやや安価になっている模様。
特に内蔵メモリは顕著に円相場が価格に影響しやすく、最新型の市場導入も進んでいる事もあってか一時期前から見るとだいぶ容量の大きなメモリを買い易くなったと言える。

で、結局のところ、こうしたハードウエア・アーキテクチャの進歩とそれに伴う一般普及がWeb2.0なんて現象の一翼もになっているのだよなぁ、と。
Webが生まれた当初はクライアント側(ネットのこちら側)もホスト側(ネットの向こう側)も、さらにそれを仲介した回線自体も全然未熟で、動画はおろか音声データも満足できる速度で通信できたものじゃなかった。
それがあれよあれよという間にCPUは構造集積能率を上げ、メモリはギガ単位が当たり前になって、HDD(ハードディスクドライブ)の容量が1G:1000なんて相場のあった時期も終わった。
回線だって、日本では一般家庭に光回線が安価で引ける。実際世界で最初に一般家庭に光回線を導入したのは日本人らしい。

結局何が言いたいかというと、実はWeb2.0的なコンテンツというのは、多くがかつてからその構想があって、でもハードウェアレベルやインフラストラクチャーが構想実現に耐えられる段階に到達しただけの話なんだろうと。
実はこれは知り合いのWeb屋の意見なんだけれど、Web2.0を問うた時に答えてくれた結論。
言われてみれば確かにそうだという観点で、彼が言うにはきっと遠くないうちにWeb2.0と似た事が起こるのだそうだ。
DVD並みの音質と画質でYouTubeのような動画配信が可能になったり、ブラウザが現状でのブラウザ以上の機能を持ちえるようになったりした場合に。
だけれど今こうして想像している将来的展望なんてきっと実現されるものだろうし、むしろこの世界・業界の進歩の速度は3年後を予見する事さえも困難なほど早いから、想像のレベルを超える現象が起こる可能性のほうが大きいのかもしれない。

ただ、こうやって議論や説明はあちこちでするものの、Web2.0もそうだが、実際に体感しないとその将来性や斬新さなどは分からない。
この手の技術論を卒論にしようかと思ってる人間の口から言えた事じゃないが、正直「百聞は一見にしかず」ってのがピッタリあてはまるモノだと思う。

卒論メモ(Web2.0)

以前にもあったような気がするが、以下綴ることは卒論のテーマ決定における一つの覚え書きのようなものなので、決して日記などではない。
ただ、ここに書いておけばメモファイルを紛失することも無いので。

Webサービスの形は現在過渡期にあると考えられる。
どこへ向かう過渡期かというと、Web2.0だろう。
(Web2.0の解説:http://www.sophia-it.com/category/web2.0.jsp)
Webスキルを有する限られた人間が、Web上であらゆるコンテンツを作成・発信し、そうでない人々は彼らの提供するフォーマットを受け入れ、その上でコンテンツを使用していた時代が形を変えてきているというわけだ。
というよりは、実は既にWeb2.0の初期段階に踏み込んでいるのではないかという見方もできる。
特にこのmixiなどは管理者側は実質、サーバスペースとコンテンツフォーマットしか提供しない。
閲覧者が必要とするコンテンツを閲覧者が作成していくサービスだ。
かつてはオンライン上で日記をつけようと思えば、(基本的には)HTMLタグを打つと同時に日記となるテキストを打つ必要があったわけで、HPビルダーなどのアプリケーションに頼るにしてもWebプログラミングの初歩知識をある程度必要とした。
当然ながら日記はおろか一つのホームページとして完成させるにもそれなりの知識が必要だった。
だがWeblogがコンテンツサービスとして提供されたとき、極端な話、テキストさえ入力すれば個々人が一人前のホームページを持つことができるようになった。

Youtubeも然り。
法的に問題が発生したが、WinMXやWinnyなどのP2Pアプリケーションも然り。
ひょっとすると、某巨大掲示板も然りかもしれない。
ただ、これだけ情報の発信が増えてくると「玉」と「石」のふるい分けも難しくなってくる。
詰まるところ、「真の意味で信用に足る情報」と「ガセ・誤り・意味不明な情報」の比率がどこまで変移していくかということだ。
某巨大掲示板を利用して情報収集をしたことのある人なら理解できるかもしれないが、あの中から必要な情報を得ようと思うと、目にする情報の多くは無意味な情報になる。
下手をすると無意味な情報の中に必要な情報が埋もれてしまって、見つからないという事態も起こる。
これと同じこと、似たようなことがWeb上で起こるかもしれない。
もっとも、この憂いを杞憂にかえてしまう存在になるかもしれないのがGoogleを筆頭とする検索エンジンなのだけれど。

科学の光陰

<初っ端から注意書き>
本日の記述は驚異的なほどにグダグダなモノで、メモ程度に記したため、クドイ話がイヤな人は見ない事を強く推奨する。

今現在、我々の生活は科学によって支えられていると言える。
日進月歩というのもヌルいくらいの発展速度により、各所でその恩恵を見ることができる。
だが周知のように、科学の発展が人類にとって有益であるとは限らない。
かつての馬にとってかわった自動車は多くの事故と死者を生じさせ、陸路の縛りを解く為に作られた飛行機は戦闘機に派生し、新たなるエネルギーと謳われた原子力は、マンハッタン計画を始めとして人類最悪の兵器へと転化した。
えてして、新技術を軍事利用したがる人類の悪癖は今も昔も変わらない。
究める事こそ善と考えられていた科学は、どの時代でも内なる闇を覗かせていた。

一例として、近年研究が進んでいる遺伝子技術を取り上げてみる。
既に人間の遺伝子の塩基配列の解析はほとんど完了しており、猿とヒトでは塩基配列の97%程度が同様であるといわれている。
遺伝子技術を用いて医療処置を施すことを、ジーンセラピーというが、場合によってはクローン技術もこの中に含有されることもある。
生命の設計図といわれるDNAさえあれば、生物のコピーを作ることが可能であり、成功例が複数報告されていることはおろか、海外ではペットのDNAを保存しておき、当のペットが死亡してからクローンを作成するというビジネスもあったほどである。
クローン技術が人体に適用されるようになれば、拒絶反応の危険性の無い臓器移植が可能になる。
あるいは絶滅危惧種の動物を保護することができるようになる。
しかし正直なところ、まだ遺伝子技術の敷居はそれほど低くない。
それ以前に、クローンという時点で、否が応でも倫理的問題が随伴してくる。

実のところ、科学とは錬金術に端を発するものであり、その当初の目的は、神の存在を明らかにすることにあったと言われている。
(錬金術の目的が金を精製することにあると思われがちだが、本来は物質・世界の構造を明らかにする研究の一環に、そうした目的が含まれていただけのこと)
しかしながら皮肉なことに、科学とオカルトは相反するものの様相を呈してしまっている。
やはり人間は所詮人間であり、神に近付くことはできないのだろう。
(但し、一部のトップクラス科学者の中には神の存在を信じる人も少なくない。というのも、自らの発見した事実が、あまりにも意図的なものに感じられて、偶発的なものではなく、誰かの意思がそうさせたとしか考えられないからだそうだ)

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